また、いかなるをりぞ、ただいま人の言ふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かかることのいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひいでねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。(徒然草71段)
この部分は吉田兼好が自分の心に起こったデジャヴの現象の不思議さを、ありのままに述べた箇所です。
徒然草が編まれたのは鎌倉時代末期の1330年頃。
こんな昔から、現代人が体験するのと同じデジャヴ現象を、心理学など全くない当時の言葉を用いて描写しているというのは、とても珍しいことだと思います。
おそらく吉田兼好は自分の外に起こる出来事だけでなく、自分の内面に生起する不思議な現象にも、素直に驚き好奇心を持つ稀な人だったのだろうと思われます。